2017年03月21日

幻庵-勝手にこぼれ話 ~上P96

P90
『道節の不遇の人生が発陽論を誕生させた?』

P94
『なぜ因徹は若い元丈を巻き返せたのか?』

P96
『当時の囲碁観戦の疑問』





P90
『道節の不遇の人生が発陽論を誕生させた?』

道節は道策の時代の人で、道策と年はあまり変わらなかったのですが道策の弟子でした。

実力的には道策に近い存在で名人の器でしたが、
道策の遺言で次のようなことを言われたそうです。

道節に
「おまえは名人碁所を望んではならない、是非とも道知が碁所になるように尽力してくれ」

道知は道策の弟子であり、実子との説があります。
道策は息子の道知を名人碁所にするために、道節には遠慮してくれと頼んだのです。

この時代、名人碁所は誰もがあこがれる地位。
道節はその道を断たれたわけですから、目標を見失ったとしても無理はありません。

そのエネルギーが詰碁作りに向けられて、最も難しい詰碁集『発陽論』の完成となったのかもしれません。

道節の名は、『発陽論』の作者として名人碁所よりも大きなものとなっています。



P94
『なぜ因徹は若い元丈を巻き返せたのか?』

若い人が大先輩を破って世代交代するのは世の常。

しかし大先輩の因徹は、元丈に第一局目を負けてから、怒涛の巻き返しができたのはおもしろいところ。

これは囲碁ではよくあることなのですが、一局打つとその人の打ち筋・性格を把握することができるので
経験豊富な年配者の方は、若い人を負かすことができるようになります。

囲碁は年齢に関係なく良い勝負ができる理由の1つでしょう。



P96
『当時の囲碁観戦の疑問』

この本でも度々出てくるのがスポンサーによる碁会です。
しかし、ここで色々と疑問がわいてきます。

当時のスーパースターの対局を間近で見られるのは良いのですが
当然畳の上で足付碁盤で打たれていたことでしょう。
少しその風景を思い浮かべてみてください。

部屋は仮に20畳ほどの広さがあったとしても
多くの人間が碁盤の回りを囲んで見るのは
少し憚られる空気があったのではないでしょうか。

また、朝から夜までという長時間の対局です。
それをずっと観戦するというのも相当疲れますよね(笑)

当時は大盤もなかったでしょうから、別室で足付き碁盤の回りを囲んでの検討会だったことでしょう。

そんなことをリアルに想像してみると、この碁興行はどのように開催されていて、何人ぐらいの観戦者があったのでしょうね。

因みに現代のプロ棋士は、10時から23時ぐらいまで対局が続くことがありますが、23時頃には相当疲れているものです。

江戸時代の方は本当にタフだったんだろうなと想像します(笑)


次回はP107までです。




posted by プロ棋士村長さん at 00:00| Comment(0) | 『幻庵』勝手にこぼれ話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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